出雲伊波比神社の流鏑馬まつり歴史・見どころ

歴史

平安時代の康平6年(1063年)源義家が奥州平定に向かう際、出雲伊波比神社で戦勝を願い参拝しました。義家が奥州を平定して凱旋する途中、再び出雲伊波比神社に参拝し、戦勝のお礼に流鏑馬を奉納したことがはじまりといわれています。

現在、毛呂山の流鏑馬は、毎年春と秋の2回、行われています。

埼玉県内で今日まで伝えられている地域の伝統行事としての流鏑馬は、萩日吉神社(ときがわ町)の流鏑馬と、出雲伊波比神社(毛呂山町)の流鏑馬で、毎年行われるのは出雲伊波比神社の流鏑馬のみとなっています。

見どころ

毛呂山の流鏑馬では、町を3つの祭礼区※1に分け、各区から出される「一の馬」、「二の馬」、「三の馬」と呼ばれる3頭の馬によって、流鏑馬が奉納されます。「一の馬」が白で源氏、「二の馬」は紫で藤原氏、「三の馬」は赤で平氏をあらわしているといわれています。流鏑馬には、午前に行われる朝的(あさまとう)と午後の夕的(ゆうまとう)がありますが、夕的がこの祭りの見せ場となります。

矢を射る「乗り子」は、10歳~15歳の少年が務めます。出陣の際、少年は頭に紙垂し※2で飾られた花笠をかぶり、背中には矢よけの母衣(ほろ)を背負い、正装姿となります。華やかな出で立ちで、矢取り※3と大勢の口取り※4を従え、流鏑馬を行う神社へと入っていきます。

神社に着くと、まず3つの馬のリーダーである「一の馬」のみが、一本の矢に地域の人たちの願いを神に伝えるべく矢を放つ、願的(がんまとう)が行われます。願的が終わると、乗り子たちは、華やかな姿から一変、花笠や母衣を脱いで陣笠、陣羽織姿となり、陣道(じんみち)※5を行います。それに続いて、陣笠、陣羽織を脱いで烏帽子(えぼし)をかぶり、今度は「一の馬」から順に矢的(やまとう)が3回行われます。このように乗り子の衣装が変わることも、流鏑馬の見どころの一つです。

矢的の馬場の長さは約200mあり、乗り子は相当なスピードで馬を走らせ、矢を射ます。そのため、全ての的を射抜くのは難しい反面、矢が的に命中すると、場内からは盛大な拍手が湧きあがります。

《注釈》

1、祭礼区:行事を担う地区を分けたものを指す。3つの祭礼区があり、それらをさらに祭馬区にわけ、輪番制で担当の祭馬区が実際の運営を行なっている
2、紙垂(しで):注連縄(しめなわ)などについている、白いひらひらした紙
3、矢取り:祭りの前日から乗り子の世話をするために付添う年配者
4、口取り:主に馬を扱う若者たち
5、陣道(じんみち): 馬場を往復して、軽く馬を走らせる儀式