猪俣の百八燈歴史・見どころ

歴史

「猪俣の百八燈」は、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて活躍していた、武蔵七党のひとつである猪俣党の頭領、猪俣小平六範綱及びその一族の霊を慰めるために行われていると伝えられています。

範綱は猪俣党の宗家で、小平六と称して“剛勇無双”とうたわれました。早くから源氏に仕え、保元の乱、平治の乱で活躍し、一ノ谷、壇ノ浦の戦いでも、手柄を立てた人物です。範綱の墓は、猪俣の高台院の一般の墓地とは離れた一角にある小さな五輪塔であると伝えられています。

塚で火を灯す方法は、以前は菜種油を大きなコネバチに注ぎ、絹の糸を束ねた灯芯を浸し灯蓋にのせて燃やしていました。後に灯油に変わりますが、戦争中には灯油が使えなくなり、代わりに山から掘ってきた松の根(ヒデ)を細く割り束ねたものを灯明にしました。現在では、真綿を急須に詰めて燈芯にして、灯油を満たして火をともします。このように、時代に合わせた工夫をしつつ、108の火は毎年燃やされ続けてきました。

見どころ

猪俣地区内の満6歳から満18歳までの青少年が、親方・次親方・後見・若衆組・子供組に分かれて行事の一切を取り仕切り、進行します。

道こさえ・草刈り・塚築き・人別集めなどの準備すべてを子どもたちが親方の指示に従って行います。当日の夕方、高台院の境内から力強い寄せ太鼓※1の音が鳴り響くと、親方をはじめ参加者一同が集合します。空が暗闇に変わった頃、いよいよ百八燈行事の始まりです。猪俣氏の霊に拝礼後、笛・太鼓の拍子に合わせ、提灯行列が塚のある堂前山へと向かい、頂上にある特に大きな塚(五重塚)に火を点火したのち、108の塚に火を灯します。108の火が尾根に沿って帯のように長く燃え上がる様子は、昇り竜のようにも見えます。塚に明かりが灯され、行事のクライマックスを迎えます。クライマックスに合わせ、約5,000発の花火が打ち上がります。最後まで花火と百八燈のかがり火の荘厳で幻想的な雰囲気を楽しむことができます。

 

《注釈》
1、行事が始まる前に人寄せのために打ち鳴らす太鼓